震災後の東北をひとり旅(2017/9)〜女川・閖上・仙台・いわき〜

2017年9月7日(木)

遅めの夏休みを取って、東北のひとり旅をしました。
田代島から石巻駅へ行き、次へ向かう先は女川です。
※前回の田代島の旅ブログはこちら

「女川」と聞くと、東日本大震災を思い出す方がほとんどかと思います。

2011年3月11日(金)午後2時46分。

あの日のことを思い出す人、
思い出したくない人、
ニュースで知った人、
様々な思いを持っていることでしょう。

震災から6年経って、
ニュースでしか見たことがなかった女川を
少しの時間でもいいので電車で行ってみたい。
そう思って旅程に組み込みました。
数時間の滞在でしたが、
とても貴重なお話を伺うことができました。

また今回の旅で、
女川、石巻、仙台、いわきを訪れました。
震災に関連する旅の思い出を書き残し、
防災のきっかけになれればと思います。

目次
⒈平日は時間に注意。シーパルピア女川。
⒉ひとり旅でも落ち着く空間。ダイシン&カフェさくら。3・11当時のお話も伺いました。
⒊東北の旅でみた、震災後の風景

平日は時間に注意。シーパルピア女川。


16時20分頃に女川駅に到着です。
雨が本降りになって来ました。
シーパルピア女川でお茶をしようかなと思い、敷地内をブラブラと歩きます。


震災後の商業施設ということもあり、とても綺麗です。

シーパルピア女川一帯の商業施設は、
震災後数メートル嵩上げされた上に建てられています。


平日のためか人通りはないです。
夕方が近いためか、クローズしているお店がほとんどの中、
落ち着いた雰囲気のカフェを見つけました。

ひとり旅でも落ち着く空間。ダイシン&カフェさくら。3・11当時のお話も伺いました。


洋服コーナーとカフェスペースが併設された店内は、
町のお店という雰囲気で、女性がひとりで入っても落ち着く空間です。

甘いものが食べたかったので、
アイスクリームを注文です。

しばらくして、
店主の島貫洋子さんとお話しました。

今回東北をひとりで旅をしているということ、
震災後初めて女川を訪れたこと、
やはり、私の話す内容は震災に関連することばかりでした。

そんな中、「女川に来てくれてありがとう」と
島貫さんからの自然な言葉がとても印象的でした。

地震があった当時、
どんな状況だったのか、
島貫さんは当時のことを詳細にお話ししてくださいました。

チリ地震津波の教訓を日頃から目にしていた

「チリ地震津波って言っても、わからないわよねぇ…。」と島貫さん。
東日本大震災が起こる前、
1960年、チリ周辺を震源とした地震があり、
太平洋側の東北地方では大津波が来たそうです。

被災前のお店にはチリ地震の津波の跡が、
くっきりと階段の壁についていました。
日頃から目にしていたその跡は、
地面からおよそ2メートルの位置にありました。

地震が来たら、すぐに高台に逃げる。
女川地域に昔から暮らす住民の教訓であり、
子供の頃からよく聞かされていました。

地震発生時の動き

当時は必要なものを持ち、
近くの町立病院へと避難します。
病院の駐車場にいたところ、
(おそらく)町の職員さんが
「ここにいては危険なので高いところへ避難して下さい!」と
大きな声で叫んでいました。
島貫さんは病院の3階へ避難します。

大津波はしばらくすると、女川地区を襲います。
町立病院の1階は浸水。
島貫さんは間一髪で助かりました。
もしあの時、
駐車場で待機していたら……。
お話を聴きながら、私も色々な考えが頭の中を駆け巡りました。

地震発生後

車で30分の隣町にある銀行は、
通帳・カード再発行の手続きのため、たくさんの人があふれていたそうです。
※バスは通っていませんでした。

女性は覚えていて欲しい。これは持っておいた方が良いアイテム。

島貫さんに女性の目線で、
これはあってよかったというものを教えていただきました。

・大判のストールまたは風呂敷のような布
4枚あれば(4人いると)囲いを作れるので、着替えの時などに活用。
・下着用の生理用品
災害時は下着の洗濯はもちろんできないので、
生理用品があると、汚れた時に交換すれば良いので衛生が保たれる。
・小銭
・予備のコンタクトレンズ

航空写真集で昔と震災後の記録をみる。

三陸河北新報社さんから出版されている航空写真集を見せていただきました。
当ブログで写真は掲載できないのですが、
震災前の女川と石巻の写真をみました。
海がきらきらと輝き、とても素敵な風景が写っていました。

石巻に滞在中、
タマホテルのオーナーさんとお話した中で、
商店街のあたりは建物の2階付近までが浸水、
「石ノ森萬画館」は震災で倒壊はしませんでしたが、
卵のような建物の上あたりまで波が来たそうです。
当時はすぐに高台方面へ逃げたとのこと。

「こう言ってしまうと、語弊があるかもしれないけど、
まずは自分の身の安全が優先。とにかく逃げたほうがいいです。
後日の美談となっているような、
人助けをして助けた人も無くなってしまうという話があるけど、
生きていれば、楽しいことややりたいこと、いっぱいできますから」
と、オーナーさん。

島貫さんもお話されていましたが、
「まずは自分の身の安全を優先すること」と。

実際に震災を体験した方だからこそ、
話す言葉には強い思いを感じました。

余談ではありますが、
某検索サイトが期間限定で運営する「全国統一防災模試」の問題の中でも、
避難する際の問題が出題されています。
この機会に防災の知識も兼ねて受けてみてはいかがでしょうか。

私は実際に被災地の方とお話ししたのは初めてで、
どこまで聞いて良いものか、
正直なところ躊躇していました。
お話を伺ったお二方は、
当時の状況を丁寧に伝えていただきました。
私1人の力では何もできないのですが、
ブログをここまで読んでいただいた方にだけでも、
お伝えできればと思います。
(お話くださった、島貫さん、タマホテルのオーナーさん、心より感謝いたします)


ダイシン&カフェさくら 島貫洋子さん。
次にお会いするときは、
女川の観光とともにまたゆっくりとお話したいです。
当日は短い時間でしたが、ありがとうございました。

東北の旅でみた、震災後の風景

多くは撮っていませんが、
震災後の象徴的な写真をここに載せます。
※女川以外の場所は、親戚、友人に連れて行ってもらいました。


JR女川駅のホームから。
震災時、右側のお墓が立っているあたりまで、
電車が押し流されたそうです。


名取市閖上(ゆりあげ)にある東日本大震災慰霊碑。
仙台在住の従兄弟に車で案内してもらいました。
慰霊碑の高さが津波の高さとなっています。


震災津波遺構となっている かまぼこの佐々直。


千年希望の丘。正面の建物は仙台空港。


千年希望の丘から見た太平洋。


福島県、いわき回廊美術館。いわき在住の友人が連れて行ってくれました。


9万9千本の桜を植える、「いわき万本桜プロジェクト」。
完成予定は250年後と書かれています。


安全ではない空中ブランコ。自己責任で乗りましょう。


いわき駅から徒歩3分。夜明け市場。

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Wrote:2018/3/11
Special Thanks:Hiroko Shimanuki.