※前回のブログはこちら
また、旅でお世話になったヒッコリーウィンドさんのHPがリニューアルされました。
素敵なHPです!
Wilderness Lodge Hickorywind
2015/8/23
鶴居村の哲学人
昼下がりの午後からとある廃屋へ行くことに。
※廃屋の写真は掲載しないことにしました。あしからず。
と、その前に。
私の出発時間の聞き間違えで、
ピックアップ漏れが発生しました。。
いやはや、、焦りましたーー。
ツアー人数が増えると、団体に埋もれてしまうので、
一人旅者は自己管理しておかないといけないことを痛感。
ご迷惑おかけしてすみません><
廃墟へ向かう車の中、これから向かう先の場所のお話を聞きました。
今となっては人の住んでいない廃墟、
ここにはかつて長谷川光二さん一家が住んでいました。
長谷川さんは有名家具店の家に生まれ、
奥様は音楽大学の教授をされていました。
娘さんは交通の都合上、中学校に通うことが出来なく、
ご夫婦で娘さんの勉強を教えていました。
長谷川さんの伝記を残された、
鶴居村出身の九州産業大学教授で哲学を専攻されている
伊藤重行さんの著書があります。
※「釧路湿原の長谷川光二-日本のソロー」が直近に発行された書籍です。
かなり森の奥へと進むガタガタした一本道。
今にも動物が出てきそうな場所です。
道を抜けると、そこには青い屋根の廃屋がありました。
ヒッコリーウィンドの安藤さんのガイドにより、
どんどんとタイムスリップしてゆきます。
家の目の前には森があり、小川が流れている場所。
6月にはスズランが咲き、
初夏にはカッコウが鳴きます。
スタインウェイのピアノで弾くショパンの曲が鳴り響きます。
周辺は誰も住んでいません。
大自然の中、かつて鶴居村に
自然とともに生活をしていた長谷川さんが存在していたのです。
私が撮った写真の中に、
「釧路市開基百年」
と書かれたポスターが家の壁に貼られていました。
今調べてみましたが、当時昭和45年(1970年)あたりのようです。
大阪万博があり、これから高度経済へと進んでいった時代です。
その時代の中、
人の営みも自然。人と自然がどう関わってきたのか。
廃屋を目の当たりにし、外から家の中を拝見し、
いろいろな想像をしました。
今の時代と違って、時間の流れの感じ方がここでは全く違うのだろうと。
自然と向き合って生活することを
鶴居村で貫いた精神が素晴らしいと思いました。
一言で語ると、言葉が安価になってしまうので、多くは語れません。
実際に見た人にしかわからないかもしれません。
夕方近くなっていた時間、
ツアー中の私たちを監視するかのように、
丹頂が遠くの方でフライトしていました。
「丹頂が警戒してみにきた」
そう言って、安藤さんは教えてくれました。
良いタイミングで丹頂がフライトしてくれたおかげで、
自然の中で生きるということは、
人も動物も世の中に「生」を持っているもの全てと
共に生きるということをほんの少しですが、実感することが出来ました。
長谷川さん旧家を後に、
見晴らしの良い丘へと向かいました。
その途中、丹頂親子の姿を車の中から見ることが出来ました。
後で写真をみてわかったのですが、親丹頂の羽が少し黒ずんでいます。
丹頂のお父さん、お母さんの羽の色を見れますか?
翌日の安藤さんの写真スライドの時に知ったのですが、
親丹頂の羽が黒ずんでいるのは、子育てに一生懸命で、
自分の羽の手入れをする暇がないからだと。
こちらの親丹頂も自分達の羽を手入れすることよりも、
子育てに集中しているのでしょう。
親の姿を自然と見ることが出来て、
私の両親も私と妹をこういった精神で育ててくれていたのかもしれません。
特に父親は、妻と子供二人を養うようにずっと働いていたのですから。
無心になる丘
夕方近く、見晴らしの良い、素敵な丘に来ました。
雌阿寒岳、雄阿寒岳がここから見ることが出来ます。
※ズームで撮ったら仕上がりがぼんやりしてました。。
丘に残された1本の木。
違う方向から。遠くに牛らしき家畜が見えました。
ただただ見渡す限り、緑、山、空。
こちらの丘はすでに人の手が加えられた場所だけど、
視界には無機質な物はなし。
目に入る景色を何も考えずに見る。
奇麗だとか、自然ってすばらしいとか。
そういった簡単な感情とは違う。
長く時間をかけてこの景色を理解できるのだと思う。