よいち水産博物館 in 余市町(1/2)

2015/08/27

目次
▼祖父母の家の跡地へ
▼余市水産博物館
▼余市のりんごのはなし

◆祖父母の家の跡地へ
夏の終わりの札幌帰省。
墓参りを兼ねて父の故郷余市へ。

札幌ICから余市町まで、車で約1時間。
小樽のICを出て、小樽の運河通りを抜け、
ひたすら車を走らせると余市町へ。
2014年NHKの朝ドラで話題となった
マッサンの舞台でもあります。
ニッカウイスキー工場では、
マッサン効果なのか観光バスが並んでいました。

賑わっているのはJR余市駅周辺だけのようで。
祖父母の家があった場所へ到着。
現在祖父母の家は解体され、跡地隣に伯父の家があります。

家の跡地のお手入れで、定期的に余市町に来る父。
家が解体された後、久しぶりに私は訪れました。

家の跡地にはツユクサが咲いていました。

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後から調べると、花言葉は「懐かしい関係」と。
今祖父母の事をふと思い出しただけでも懐かしく、
写真を撮っていたり、着物を着る時は二人のことを時々思い出します。
『今帰ったよー。』

当時の天気はあいにくの雨。
余市へ行く時はだいたい曇りか雨か。。
墓参りも終わり、
私のわがままで、余市めぐりをしたいと父にリクエスト。
子供のころから気になっていた
「余市水産博物館」と「余市宇宙記念館」へ行くことに。

◆◆
余市水産博物館
天気が悪い中、小高い場所にあるため、
車でもこの坂はきついな~~と思えるほど。。
徒歩ではないことにありがたみを感じました。

外観写真はカットします。(雨のため)

きっと、お客は父と私くらいだろうと思っていたのですが、
以外にも先客様がいらっしゃいました。
おそらく、何かの研究されている方がお二人。
特定の展示物を熱心に見られてました。
学芸員さんとお話しされていたのですが、
ここでは、展示されていない資料も
要望にマッチすれば見れるようです。

言うまでもなく、、りんごです。
余市はりんごの町でもあります。
余市のりんごのルーツは深いんです。
その話は後ほどに。
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水を差すような父のカットインで、
「うちの墓、このリンゴの木箱くらいなんだけど、
今骨壷が入りきらなくてさ~。
今7人分入っててでもう入らないんだわ。」
「そうなると、お父さんの骨の居場所ないじゃん。」
「そう。。今からどうしようか考えとかないとね。」

現実的な家の骨壷問題。
最近、北海道を離れてしまった遠い親戚から、
身内が亡くなり墓参りができないからと、
たっきー家のお墓に入居を依頼され、
一人家とは遠縁の方が入居(入骨)したそうで。。
現実世界では過疎化が進んでいるといわれているのに、
お墓の事情は過剰の問題。
普通に考えてみるとそうです。
生→死にシフトして魂が無くなっても、
現世に残された子孫にもいろいろと問題のツケが回ってきます。

こちらの地図は1976年の余市の町。
現在よりは家屋があり、人もそこそこいました。
※たっきー家の本家ももちろんあります。
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館内所狭しと展示物や資料が壁に至るまでぎっしり詰まっています。
机と椅子も設置されているので、資料を深掘りしたいときは
とても環境はいいです。

しばらく、背中合わせの机で、父娘が余市の資料を閲覧。

その構図をイメージしていただきたいです。

やはり、親子ですねぇ。

好奇心の熱量に年齢や親子なんて関係ありません。

気になった展示をじっくり見る私。
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余市に水族館があったようです。
父が子供の頃にも存在していたとのこと。
今よりも人口が多く、賑わっていた余市はどんな感じだったのだろうか。
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1階にはミニチュア模型の舟。
「長生丸」と書かれた看板が船上に掲げてました。
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とにかく展示物が多くて、
視界に入った展示物をひたすら撮ることの繰り返し。。
解説文を読んでいたら時間が足りなくなってしまいます。

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りんごから、ニシン漁、アイヌ文化の資料。。
なぜか、富山の薬箱やアメリカンな旅行バック。。
2階のフロアには余市の歴史に関連するのか疑問ですが、
混在エリアがありました。
この他、余市のエリアは石器が出土される場所でもあるので、
石器やコハクの出土品など時間があったらじっくり見たいものばかり。

急ぎ足で館内を見学しましたが、
また余市に来る際は訪れたいと思います。

◆◆◆
さて、余市のりんごの話です。
博物館を見学した際、なぜに余市でりんごなのか
理解できなかったのですが、
後から調べると、
どうやら開拓時代、会津藩の団体さんが余市エリアに入植したそうです。
これで家のルーツが完全ではありませんが分かってきました。

要約すると、りんご栽培が定着するようになったのは、
余市に定住した会津藩団体の方々のおかげなのです。
国からの通達でも、激寒な蝦夷地なんて嫌だと思っていたかもしれません。
歴史を知ると、昔の方々の功績に敬意を払いたくなります。

たっきー家の先祖は伊達藩(仙台藩)です。
伊達藩の人間がなぜ会津藩の方々と同時期に余市へ来たのか。。
こちらも後日私が調べましたが、
混戦していた時代に伊達藩が会津藩にサポートをしていたようです。
隣近所のエリアなので、それはそうかもなと。
便乗して会津藩団体にくっついてきたかもしれません。
伊達藩は色々と問題あり、戦国時代に戦争を起こした発端の藩らしいので、、
肩身が狭い思いで移住したのかもしれません。

高祖父母(こうそふぼ)、ひいひいじいさん。
何を生業にして生活していたのだろうか。
父の話によると、
昔祖父母の家にニシン漁の際に使っていた木箱の道具があったそうで、
ここの博物館に寄贈したらしい。
生業は漁業としておきましょう。。
会津地方出身の方にお会いした際は、
仲良くさせていただきたいなと、勝手に思ってます。

もし、たっきー家骨壷居住者7名の先祖と移住座談会ができたなら、
当時の事や、今でいうコミュニティーなぞ、
いろいろと伺いたいものです。

余市宇宙記念館の話はまた後日に。